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障害は乗り越えるべきもの?

アシスタントのQです。今回は障害に関する考え方をひとつ(あくまでアシスタント個人の考えです。TRID公式の見解ではありません)。

このHPには「利用者の声」というコンテンツがありますが、このコンテンツができるまでに何度かアシスタントにTRIDに関するアンケートを取ったことがありました。その中で自分の障害に対してどう対処しているかを聞く設問がありました。ほとんどの方が障害を克服したり乗り越えたりできていないという回答でした。だからこそA型事業所で働いていると言えるでしょう。でも、普段みんなの一生懸命働く姿を見ていたので、もっと「オレはこうやって克服した!」というような成功体験を持っていると思っていたため、少し意外でした。

障害を克服することは、一般的には就労や日常生活において大きな壁を乗り越えることを意味します。ですが、それは必ずしも全ての人に当てはまるわけではありません。このことが、私にとって大いに考える機会となりました。障害は必ずしも打ち勝ってどうこうするものではなく、障害と共に生きていく大切さを考えるきっかけになったのです。

私の場合は、うつ病で20年ほど苦しんでいます。最近はだいぶ症状が落ち着きましたが、それは自分だけの力でコントロールできるようになったというよりも、周囲の支え(特に妻の存在)があってこそと考えています。そして、障害は私の一部であり、それを乗り越えることよりも、共に生きる道を探す方が、苦しくないと考えるようになりました。

もちろん、障害によって失ってきたものも多く、悔しい思いや悲しい瞬間もありますが、それでも手元に残ったものを大切にし、生活を楽しむことができれば幸せです。40歳に近づく今、人生に対するある種の受け入れもあります。若者にとっては、むしろあきらめて現実を受け入れる方が辛い選択かもしれませんね。若い頃は、これではダメだ、どうにかしないと、という気持ちが強く本当に辛かったので、その気持ちは分からなくもありません。

テレビで障害者スポーツを見ると、障害を乗り越え、輝かしい成功を収める話題がクローズアップされることがあります。しかし、それは一面的な見方に過ぎず、すべての人にとって必ずしもあてはまるものではありません。バリバリ働いたり、勉強や運動が得意だったり、何かの才能や容姿に恵まれていたり、経済的に裕福だったりすることが、すべての人に求められるわけではありません。それらを追求しなくても、何か秀でていなくても、お金があまりなくても、どうにか食べていけている。障害に立ち向かいながら生きるよりも、何かささやかな幸せを見つけ、障害とともに歩む方が、自分にとっては合っているように感じています。