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人は変われる。②

こんにちは。アシスタントAです。前回の続きを書こうと思います。

自分を認めていない時は、どうしても虚構というか、噓っぽい感情に支配されて、信じるということが本当に出来なかったからです。

今現在に心を置いてみると、変な妙なプライドみたいなものなど、すっ飛んでいき、現実のリアルな自分を感じる事ができ、周りの人の気持ちとか、雰囲気とか、今の自分のぶっちゃけた本心も分かるのです。

確かに、今現在に心を置くと、自分にとっては手が届かないものや、今自分は、こうなんだという、ありのままの心があり、羨ましく思う事や、悔しくて仕方ないという、怒りの気持ちや、何でこんなんなのという、自分の思っていた理想自分とはかけ離れている現実を目の当りにします。

確かに、辛いです。

でも、気付いたことは、自分よりもっと大変な境遇に生きている人や、そういう人達が、現実に存在するということです。

そういう人達の方が、笑顔でいたり、楽しみを見付ける事に長けている現実によく、接します。

そういうのを分かってくると、自分は、「何しとんのや」と、反省の気持ちになります。

あと、「自分の事しか考えとらへん」とかの気持ちになって、自分に腹立しさを覚えることも多々あります。

このように、今現在に自分の心を置くということは、自分にとってはいい事ばかりではありません。

それでも、毎日、行く所があり、仕事をすることを続けていると、自分の場合は少しずつしか無理ですが、人のあたたかい面も見られる時もあり、そういうときは、感謝しかないです。

そういう時や事が、紛れ込んでくるのです。

いつも何時も自分の心を閉じて自分に都合良く物事を解釈していた頃には、見たり、感じたり出来なかった事が、現実、自分の心に起きているのです。

確かに、毎日、行く所があり、仕事をすることは、楽ではありませんが、必死なので。

でも、何と言ったらよいのか?分かりませんが、生きている事は、生かされている事であり、誰かになんかかんか助けてもらっているという事かな?と思っています。まだ、今の自分の心では、ここまでしか分かりません。

まだ、分からないことだらけです。

この気持ちを忘れずにいたいです。

自分の体験や経験してきた事は、全てではないからです。

最近は、仕事や、プライベートでも、色々とルーティン化されていて、身体で覚えていく事が多いのかな?と自分では思っています。

ただ、愉しむということは、まだまだ心底から、分かってはいません。

まだまだ古い昔からある心の動きに支配されているのか?愉しんではいけないという気持ちが心の奥深くからあり、何をしたら楽しいのだろう?とか、分からなくて、自分なりに、もがいています。

このように、考えられる環境や心境にあること自体が幸せなのかも?しれません。

色々な角度から物事を見られるように先ずは、なりたいです。

どうしても、長年の心の癖を直すのには必要な事だからです。

しらけたものの見方等しか出来ないのでは、先には進めないと思えるからです。

でも、よくよく深く考えてみると、自分は、色々と恵まれていると思えるのです。

今まで生きてきて、その年代、年代で、大事な事は、必ず人に関わって、人に、助けてもらえていた事が過去の大事な場面では自分が鮮明に覚えているからです。

今考えられる事は、もらってばかりでなく、与えられる側に少しづつしか無理ですが、なれるように、生きていく?努力する?深く考えると分からなくなる時もあるので。

そういう事かな?くらいしか、今の自分の頭では、思い浮かびません。

衣食住ができている事自体が幸せなのだとは思っています。

もう一歩進んでいけたらとも思いました。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。